鬼舞辻無惨率いる鬼軍団のナンバー3。
上弦の壱・黒死牟、上弦の弐・童磨、上弦の参・猗窩座は、一つ頭抜け出た強さを持っていると考えられる。
中でも圧倒的な強さと経験、そして鬼舞辻無惨の信頼という点で、黒死牟は図抜けた存在といった良いかもしれない。
自由奔放すぎる童磨、そして忠実な働きが評価されている猗窩座。
この二人は、どう見ても折り合いが悪く、平凡な表現をすれば「仲が悪い」ようだ。
猗窩座と童磨の対立という構図で、鬼の社会というものについて少し考察を深めてみたいと思う。
当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。
無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!
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猗窩座と童磨の立ち位置を比較してみる
上弦の陸である妓夫太郎と堕姫が炭治郎たちに倒された際、上弦の鬼が無限城に集められるというエピソードがある(鬼滅の刃12巻・第98話「上弦集結」)。
猗窩座の様子から、上弦の鬼たちは、鳴女の力によって強制的に無限城へ集結させられているらしいことが分かる。
鬼たちは無惨に生殺与奪を握られている
鬼を作ることができるのは鬼舞辻無惨だけだ。
彼の血を人間に与えることによって、その血の力に耐えることができれば、肉体を鬼化できる。
その際、与えられた血の量によっても鬼になった後の強さや能力は変わってくるらしい。
力のない鬼は、鬼舞辻無惨の名前を口にすることさえも許されず、誤って口走った鬼は、その呪いによって滅殺されている(鬼滅の刃3巻・第18話「呪縛」)。
このようにすべての鬼の生殺与奪件は鬼舞辻無惨にあり、それは上弦の鬼としても同じだろう。
鬼舞辻無惨は、自らが究極の生命体になるためにひつような「青い彼岸花」と「日の光を克服する鬼」を手に入れるための「兵隊」として、鬼を生んだ。
そして、鬼たちを組織化させ、順列を作ることで競争を生み出し、邪魔になる鬼殺隊を効率良く駆逐する手段として「上弦制度」を作ったのだろう。
つまり、鬼たちにとって「鬼舞辻無惨は絶対無二」なのであり、逆らうことは許されない。
鬼たちは、
・人を喰い強くなること
・鬼殺隊(特に柱)を倒すこと
・青い彼岸花を探すこと
などを命令されていると思われるが、それ以外の活動については自由が許されているように思う。
鬼舞辻無惨自身は、血を分けたすべての鬼の様子が分かるようなので、監視は続けているのだろう。
だが、それほど鬼たちの行動には「興味がない」のだと思える。
そもそも、必要に応じる形で組織した「鬼軍団」だが、自身が日光を克服してしまえば、もはや無用の長物なのだ。
私が嫌いなものは変化だ。
私が好きなものは不変。
完璧な状態で永遠に変わらないこと【出展】鬼滅の刃12巻・第98話「上弦集結」
鬼舞辻無惨がこのように語っているように、彼の最終目的は「首斬りも日光も克服した完全な不死の生物として永遠に変わらず君臨すること」にある。
百三十年ぶりに上弦を殺されて私は不快の絶頂だ。
【出展】鬼滅の刃12巻・第98話「上弦集結」
この怒りこそが、上弦たちを一同に集めた要因である。
上弦の鬼たちも、よほどのことがなければ顔を合わせることもなさそうだ。
つまり、猗窩座と童磨についても、この再会は「130年ぶり」であると考えるのが妥当と思える。
猗窩座と童磨の因縁とは?
このように久しぶりの再会を果たした猗窩座と童磨であるが、二人の間にはギクシャクを通り越した殺伐とした雰囲気がある。
無遠慮に猗窩座の肩に手をかけた童磨を裏拳で一閃する猗窩座。
童磨も負けることなく
前よりも少し強くなったかな?猗窩座殿
【出展】鬼滅の刃12巻・第98話「上弦集結」
と嫌味ったらしく言い放つ。
これは明らかに童磨自身が「自分の方が猗窩座より上」と思っていることを遠回しに言っているに等しい。
もちろん、童磨は上弦の弐なのだから、参である猗窩座より「強い」という無惨の評価なのだろう。
当然、猗窩座としてはそれが気に食わない訳だ。
上弦の壱・黒死牟の影響力
無邪気に振る舞う童磨の頭が吹き飛ぶほどの一撃を食らわした猗窩座。
これはストレス発散以外の何ものでもないと思うのだが、それを諌めたのが上弦の壱・黒死牟だ。
猗窩座…お前は度が過ぎる。
序列の乱れ…ひいては従属関係に罅が入ることを憂いているのだ…
【出展】鬼滅の刃12巻・第99話「誰かの夢」
黒死牟ほど、無惨に強い忠誠を誓っている鬼はいない。
その強さ、そして忠誠心があっての上弦の壱なのだろう。
鬼の社会に、人間と同じような社会性があるのかどうかは不明だが、黒死牟は上弦制度を中心とした「鬼の階級・序列」を非常に重要視していることがわかる。
黒死牟はかつて鬼殺隊に所属した呼吸の剣士だ。
上司への忠誠・集団行動の徹底といった人間時代の習性が、鬼となった今でも顕著に現れているのかも知れない。
猗窩座と童磨は、過去に対戦したことがあるのか?
黒死牟によれば、鬼社会には「入れ替わりの血戦」(鬼滅の刃12巻・第99話「誰かの夢」)というものがあるらしい。
推測するに、より高い位を得たければ、その位の鬼に闘いを申し込み、勝てばその座を得られるというものなのだろう。
童磨は、「猗窩座殿よりも後で鬼となり、早く出世した」らしい。
ということはつまり、童磨は「かつて上弦の弐だった鬼に血戦を挑み、勝利した」という可能性が高い。
猗窩座には勝てる、上弦の弐にも勝てる。しかし、黒死牟は難しそうだ。
という理由で、猗窩座を飛び越え、見事に上弦の弐を得たとなれば、「至高の強さ」を求める武人である猗窩座としては、心中穏やかではないだろう。
猗窩座が童磨を嫌う理由
とにかく童磨がウザい
童磨がうざいというのは、誰もが思うところのようだ。
黒死牟にしても、無惨にしても、鳴女にしても、だれも童磨とまともに話そうとしない、相手をしようとしない。
おそらく童磨は、誰からも好かれていない。
鬼からも嫌われるというのは、相当なものだ。
猗窩座自身、闘いの際は饒舌である。
煉獄杏寿郎にしても、炭治郎にしても冨岡義勇にしても、闘いそっちのけで話しかけている。
これは、人間時代に影響を受けた師匠・素山慶蔵の影響であると思われるが、無惨や鬼たちと一緒にいる時は、その快活明朗な雰囲気は失われる。
私はサッカーが好きなのだが、学生時代に目標にしていたのが炎のストライカー・中山雅史氏である。
彼ははっちゃけた性格でピッチの上でも、時折出演するバラエティ番組やサッカー解説でも、熱く面白い話を聞かせてくれる。
だが、情熱大陸に出た際に、「普段は寡黙で、一人お気に入りの喫茶店でお気に入りのマンガ(その時はワンピースだった)を黙々と読んでいる」という姿が紹介されていた。
やはり、どんな人間でも「オンとオフ」はあるのだろう。
猗窩座の本性がどちらなのかは分からないのだが、狛治の実直で真面目な性格からして、本来の猗窩座は「寡黙で穏やか」な人間なのではないだろうか。
そういう人間にとって、童磨のようなキャラクターは「生理的に受け付けない」のだと感じる。
人間社会でも、「何がどう変わっても、絶対に仲良く出来ない人」というのはいるものだ。
これはもう理屈ではない。
この人とは一緒にいられない、同じ空気を吸いたくない。
そういう輩は確実に存在する。
猗窩座にとってそれは童磨だった。
そんな水と油のような二人が、共に鬼となり、上弦の弐・参として並んでしまったことが悲劇なのだ。
猗窩座が「女を食わない」ことが気に入らない童磨
童磨自身は、人間を食べること、女を食うことを楽しみにしている節がある。
絶対に女を殺さない、食わないと決めている猗窩座とは、その時点で考え方が真逆だ。
猗窩座が「女を食わない」ことを無惨が許していることも、童磨にとってはひっかかるポイントのようだ。
些細なことではあるが、そういった重箱の角をつついて相手の嫌な気持ちにさせることこそ、童磨の真骨頂と言えるだろう。
童磨は顔や態度にこそ明確に出さないが、明らかに「猗窩座を蔑み、見下している」と思われる。
本性のなかなか見えない男なので、何が本当なのかが分からないが、童磨の持つ「無邪気な悪意」とは、そういうものだろう。
猗窩座=性善説と童磨=性悪説
性善説と性悪説という二つの考え方がある。
「立派な人間になろう」というゴールは同じなのだが、そのスタート地点が大きく異なる。
①性善説(せいぜんせつ)
性善説とは、「人は生まれつき善である」という孟子(もうし)の考え方だ。
人間は生まれたときには、善人であり、清い心を持っている。
困っている人がいたら、なんとかして助けたいと思う。
まさに竈門炭治郎のような生き方こそ、性善説を体現していると言える。
②性悪説(せいあくせつ)
性悪説とは「人は生まれつき悪である」という考え方。
その心は弱く、欲望によって変化してしまうと 荀子(じゅんし)は提唱した。
人間は、いつのまにか誘惑に負け、楽をしたい、自分だけは豊かになりたいという「欲望」に負けてしまう。
そういう弱い心を持った存在なのだ。
人間はどうしても心の弱さ故に、悪の道へと進んでしまう。だからこそ、それを律するための法律や罰則、ルールなどが必要になる。
人間は本来「性悪説」=人を殺すことができる生き物
一歩踏み込んだ考え方をすると、私自身は「性悪説」こそが本質であると思っている。
人間は、人を貶めたり、殺したりすることが「本来できる」生き物なのだ。
だが、良心や心理的な抑圧、ルール、罰則などが、それを思いとどまらせている。
逆を言えば、そういった「ストッパー」がなくなった時、人はあっさりと人を殺すのである。
では、この考え方を猗窩座と童磨に当てはめてみるとどうなるか。
猗窩座=狛治は、本来、「人を殺せない=性善説」で生きてきた人間であると思う。
彼は、父親の薬代のために犯罪に手を染めたが、それは愛情の裏返しが過剰な行動になってしまったに過ぎない。
その本質にあるのは、人としての温もりであり、優しさなのだ。
一方、童磨はどうだろう。
彼は人間時代から、生粋の悪だ。
性悪説の申し子と言っても良い。
もともと能力の高い人間であったが、両親や新興宗教の信徒たちを蔑み、利用し、自らの欲望を満たすために生きた。
例え鬼にならなくても、ろくな大人にはならなかっただろう。
その原因として、感情の欠落がある。
人間の感情というものは、俺にとって他所事の夢幻だったなあ。
【出展】鬼滅の刃19巻・第163話「心あふれる」
これは、無限城で最期を迎える際に、童磨が語った言葉である。
彼にはすべての欠落していた。
喜怒哀楽、人間を司るすべての感情が。
彼にとって、人生とは無味乾燥な味気ないものだったかもしれない。
ただただ、無意味な時間を生きる。
その虚しさは計り知れない。
短かったけれど、充実した喜怒哀楽に満ちた18年を経験した猗窩座との差。
彼らの感情が心のレベルで噛み合わない要因は、そういった「過ごしてきた人生と時間の価値の違い」であるように感じる。
猗窩座と童磨が戦ったらどちらが勝つか
猗窩座は肉弾戦の申し子であり、童磨は破壊的な血鬼術による遠隔攻撃と得意とする。
猗窩座にとっては分が悪いとしか言いようがないだろう。
炭治郎や冨岡義勇、煉獄杏寿郎のように、鍛え上げた剣技を持って闘いを挑まれるのであるならまだしも、氷を自由にあやつって支離滅裂な攻撃をしかけてくる童磨に対しては、おそらくなす術がないだろう。
童磨自身が強いことは間違いない。
胡蝶しのぶが自らの命をかけて毒を盛り、カナヲと伊之助が決死の思いで戦って、やっと勝った。
それも奇跡のような薄氷を踏むギリギリの闘いだった。
単純な鬼としての武力・戦闘力を比べれば、猗窩座には勝ち目がないと言わざるを得ない。
犬猿の仲のライバル関係が面白いマンガキャラ列伝
太宰治&中原中也(文豪ストレイドッグス)
かつては「双黒」と呼ばれた相棒だが、生理的な嫌悪感を隠すことができず、対立。
涼しい顔でさらりと中也をからかいう太宰。
そんな太宰に対して、中也が欠陥を太くしてブチギレるというのがいつものスタイル。
お互いの実力認め合ってはいるものの、性格的な不一致による「生理的嫌悪感」は童磨と猗窩座のそれに近い。
沖田総悟&土方十四郎(銀魂)
泣く子も黙る真選組の同僚にして上司と部下という関係だが、一筋縄ではいかない様子。
沖田は、スキあらば土方の命を狙い、平気で刃を突き立てる。
そこに土方が激しいツッコミを入れるというのが日常パターン。
沖田のうざさや、サイコパス的な言動は童磨に通じるところも…
飛影&蔵馬(幽遊白書)
元・盗賊仲間の腐れ縁。
浦飯幽助らと出会い共闘関係になった。
初期のピリピリ感は「いつでもお互いに背中から刺す」という緊張感があった。
どちらも冷徹な合理主義者という一面があり、一筋縄ではいかないところが、なんとも読者泣かせ。
飛段&角都(NARUTO -ナルト-)
犯罪組織「暁」でコンビを組んでいた2人。
「ヴィラン側の不仲コンビ」という意味では、童磨と猗窩座の関係性に近い存在。
不死身の飛段がとにかくうるさく喋り倒す、こちらはこちらで短気で怒りっぽい角都が本気で飛弾を殺そうとする。
しかし、死ぬことはないという救いようのないドツキ漫才。
ゾロ&サンジ(ONE PIECE)
麦わらの一味の主力戦士であるが、相容れないという意味では、この2人に勝るコンビはないかもしれない。
言わずと知れたスーパー犬猿の仲。
顔を合わせる度になじりあっているが、いざ戦闘になった時のコンビネーションは抜群に良い。
童磨と猗窩座がもし鬼殺隊と「協力して戦わなければならない状況」になっていたら、果たして2人のように戦えたかどうか。
たぶん、無理だと思う…
糸師凛&士道龍聖(ブルーロック)
選抜チームのストライカーとしてしのぎを削る2人。
性格やプレイスタイルが真逆であり、混じり合うところが皆無。
初対面時から殴り合いの喧嘩をしているように、徹底的な不仲である。
お互いを「抹殺対象」としてしか見ていない殺伐とした空気感は、無限城に集められた上弦の鬼達の雰囲気に似たものがある。
