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猗窩座の過去まとめ|苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘

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苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘
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鬼滅の刃における敵方である鬼の中でも屈指の人気を誇る上弦の参・猗窩座(あかざ)。

彼自身、もちろん元は生身の人間としての人生を歩んでいた

しかし、幼少期から続く壮絶な半生は、結果として彼を絶望させ、鬼舞辻無惨による「鬼への誘惑」を受け入れざるを得ない状況を生み出してしまった。

ここでは、「無限城編で炭治郎・冨岡義勇と戦っている猗窩座」を現在として、上弦の参・猗窩座がまだ狛治という少年であった時代に遡り、彼の過去を紐解き、その歴史について考察を深めたいと思う。

当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。

無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!

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目次

猗窩座の過去をふりかえる。鬼の武道家・上弦の参はいかにして生まれたのか

全身に奇妙な幾何学模様の入れ墨を持ち、屈強な柱と素手で渡り合う武人。
それが上弦の参・猗窩座という男だ。

彼がまず生きたのは江戸時代。

鬼滅の物語に「狛治(はくじ)」という少年が現れる。
これが後の猗窩座である。

狛治は、江戸に生まれ、父と二人で長屋住まい。
母の存在は確認されていない。

父は何らかの病に倒れ床に伏せている状況のため、働きには出られない様子だ。
狛治の年齢は11歳。

現代では、小学校5〜6年生ということを考えれば、まだまだ幼さの抜けない子どもである。
しかし、江戸時代という時代背景の中では、その扱いが少々異なる。

江戸時代における11歳といえば、もはや大人への階段を登り始める時期。大人社会に入り込む、修行や労働に携わることが多くなる年齢である。

一般的な商品や農村で生まれた子どもたちは、11歳頃になれば当然のように丁稚奉公を始める。
親元を離れ、商家などの働き口を探し、住み込みをしながら商売や仕事を学ぶのだ。

武家や裕福な家庭では、現代同様、教育に力が入る時期である。

寺子屋にて、読み書き・算盤、さらに論語など、勉学の基礎となる古典を読み解き、知識と経験を積み上げていく。
特に男子は15歳前後になると現代の成人に当たる「元服」を迎える。

元服ともなれば完全に「大人の仲間入り」ということになる訳で、11歳はもはや「子ども扱いされない年齢」と考えても差し支えないだろう。

病気の父親を抱えて長屋の貧乏住まいという狛治が、丁稚奉公に出たり、勉学に勤しむことなどできる訳がない。
彼が人生をかけて取り組んだのは、「スリ」である。

もちろん遊ぶ金が欲しかったのではない。スった金で買い求めたのは、父親に飲ませる薬である。
だが、素人少年一人のスリ稼業がそう上手くいくはずもなく、狛治は幾度も奉行所に捕まり、刑罰を受けた。

そして、やむなく犯罪行為に手を染め続ける狛治に転機が訪れる。
父親の自殺である。

病に伏せる父親は、薬代を得るために悪事を続ける息子が陥った負の連鎖を断ち切るために、自ら命を絶った。
少年は、唯一の肉親を失い、目標と生きる意味を見失い、途方に暮れる。

猗窩座の過去【少年時代】病の父を救うために犯罪に手を染めるかわいそうな鬼子

親ガチャという言葉がある。
子どもは親や家庭環境を選べず、全ては運次第であるという意味だが、それに倣えば狛治は親ガチャに失敗したということになるだろう。

理由は分からないが母親がいない父子家庭。父親は病で働けず、オンボロ長屋での貧乏暮らし。
このような恵まれない家庭環境において、子どもは「やさぐれて不良化する」というのがステレオタイプな定番ストーリーであるが、狛治の場合は違った。

狛治は確かにスリを始めとした犯罪行為に手を染めはしたが、その理由は自らの不遇な家庭環境に対する反発でもなく、世の中への復讐でもなく、「愛する父親のために薬を買うため」であった。

目的のために犯罪を行うのはもちろん言語道断、許されることではないが、その動機には情状酌量の余地がある。
狛治は奉行所に何度も捕まり、刑罰を受け、犯罪者の印である刺青を刻まれてはいるが、生活援助のサポートなどは受けられていない。
言うなれば、「ボコボコにされて放って置かれている」ということだ。

現代で同じ状況が起これば、おそらく行政が子どもを保護するなど然るべき処置がとられるだろう。
そういった社会福祉のシステムが機能していない江戸時代において、狛治のような弱者は、社会から打ち捨てられるのが当然だった。狛治の置かれた絶望的な状況から抜け出すためには、犯罪を犯すしかないという事情も当然あったと推測される。

病に倒れた父のために奔走する努力家

狛治は「他人のための努力を惜しまない」人間である。
病の父を見捨てず献身的に看病し、その回復を願って犯罪に手を染め手まで、薬を手に入れようと奔走する。

狛治は、特に辛抱強く、子どもらしく遊び回るようなことも好きではない。。
11歳の子どもであることを考えれば、大人顔負けの胆力と我慢強さを持ち合わせた「よく出来た子」である。

あの出来杉くんでさえ、こうはいかないだろう。

この点は、父親、あるいは母親の人柄、教育も影響しているのではないかと推測される。
父親自身は、ある程度の身分で、きちんとした仕事を持つ人物だったのではないだろうか。

妻を失い、男で1つで息子を育てている状況で不幸にも病に侵される。
そして職を失い、家庭は貧乏に窮し、出来の良かった息子は、父の命を繋ぐために犯罪者になった。

父親が健康で、裕福とは言わないまでも普通の暮らしができていれば、狛治が犯罪者になることも、鬼になることもなかった。

それは間違いないだろう。

江戸時代における「スリ」という犯罪

江戸時代におけるスリは「高度な犯罪集団」とも言える悪党の代表格である。
腰に巾着をぶらさげて財布にしている場合が多く、その紐を切って盗み出すという手法を用いたので、別名「巾着義理」とも呼ばれていた。

スリを行う際の役割分担も非常に細かく決められていたと言われ、現在の「特殊犯罪グループ」のように市民の平穏な生活を脅かす厄介者だったと推測される。
その意味では、狛治のように単独でスリを行うのは、珍しい部類に入るのかもしれない。

狛治は両腕に3本ずつの入れ墨を入れられたが、これは「前科の照明」であり、一度彫られてしまえば、一般社会での再起も難しくなるような深刻なものだった。

この入れ墨は地域(奉行所)ごとに形などが決められていて、「どこで犯罪を犯した者なのか」が判断できるようになっていたという。

地域 デザイン(場所・形状) 解説・特徴
江戸 左上腕に2本の黒い線 幅は約3cm間隔。最も一般的。
京都 二の腕に1本の太い線 江戸よりもシンプル。
大坂 右上腕に2本の黒い線 江戸とは反対の「右腕」に入れるのが特徴。
広島 額に「犬」の文字 1回目で「一」、2回目で「ノ」、3回目で「大」を書き足し、4回目で「犬」になる。
紀州(和歌山) 額に「サ」の文字 スリの「サ」に由来すると言われる。
長崎 左上腕に「十字架」や「○」 キリスト教の影響や、時期によって円形が用いられた。
薩摩(鹿児島) 左肩に「○」のマーク 島津家の家紋(丸に十の字)の簡略版とも言われる。

最愛の父が自死するという最悪の結末

狛治の人生は、父親の自死によって大きく転換する。
狛治の父親は、自らの病のために犯罪を繰り返す息子を不憫に思い、負の連鎖を断ち切るために首をくくった。

「真っ当に生きろまだやり直せる」
「俺は人様から金品を奪ってまで生き永らえたくない」
「迷惑をかけて申し訳無かった」
【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第154話「回顧強襲」

父親は、遺書の中でそう語っている。
これはある種「武士道」に通じる考え方かもしれない。

人様に迷惑をかけてまで生き永らえるくらいなら、潔く死を選ぶ。

「切腹」など「名誉を守るための死」が当たり前に受け入れられていた江戸時代にあっては、こういった考え方を持つ人も珍しくはなかっただろう。

ただ、狛治の父親に「自らのための死」という理由がなかったとは言い難い。

物語の中では「狛治を思っての自死」という側面が強調されているが、父親自身が自らの置かれた病の現状に絶望し、全てを終わらせることを願ったという事情も当然大きかったと思われる。

苦しい病、そして働けない、動けない、息子は犯罪を繰り返し奉行所の世話になっている。

こういった絶望的で明るい未来を描けない状況で、最悪の幕引きを考えること自体仕方のないことかもしれないが、「残された子どもに対する親の責任」を放棄していることもまた事実である。

「まだやり直せる」と言い残すことは簡単だが、では残された子どもは、どうやって人生をやり直せば良いのか。
人生の歩み方を教え、導くのが親の役目だろう。

狛治の父親は、その役目を放棄し、自らが「楽になる道」を選んだのだ。

父親のためなら自分は死んでも構わないとまで宣言する最高の孝行息子を残し、彼はこの世を去った。

大人として、人間としての不甲斐なさ。

年端もいかない息子に助けられなければ生きられない惨めさ。

息子に無理をさせ犯罪者にしてしまった後悔。

様々な思いが交錯し、彼に首を括らせのだろう。

狛治は、そんな父親を恨まず、貧乏と、それを許さない社会を恨んだ。


そういった部分に、「こうと決めたら絶対に貫き通す」という狛治の一途な性格が現れているように思える。

猗窩座の過去【青年時代】慶蔵と恋雪。守るべきものを手に入れた矢先の悲劇

度重なる犯罪行為により、江戸から追い出された狛治は、行き着いた先で荒れていた。

最愛の父とそして生きる目標を失った狂犬は、その日暮らしの不安定な生活を送りながら、感情の赴くままに暴れる日々を過ごしていたのだろう。

狛治は15歳。
元服の歳を迎えたが、親なし、家なし、仕事なしの彼にとっては、何の関係もないことだったかもしれない。

狛治はある日、武器を持った大人たちと大立ち回りを演じる。
そこへやってきたのは、運命の人・素山慶蔵である。

「所払い」の刑罰により住む町を追い出され、荒れる狛治

「所払い」は、江戸時代の刑罰としては軽い部類に入る。

犯罪人が住んでいた特定の地域から永久に退去させられ、戻ることを禁ずるという命令である。

狛治は、父と共に暮らした町を追い出され、路頭に迷うこととなった。

所払いを受けたものは「無宿=戸籍のない者」とされ、様々な生活上の制約を受けることとなる。

当然、働き口を見つけることさえ困難になるため、父親を亡くし、孤立無縁となった狛治のとっては、まさに未来にひとかけらの希望も見出せない状況に追いやられることを意味している。

狛治にとって、「父の回復を願い、看病をし続けること」ことが、唯一の生きる理由だった。
父の自死により、その理由をも奪われた狛治には、人生を預ける拠り所がなかった。

狛治には「自分はこうありたい」という願望や目標がない。
そもそも「人のため=父のため」という「他人に対する思いや行動の熱量」に対して、「自分のための行動や欲求」があまりにも少なすぎるのである。

住みなれた町さえ奪われ、知らない土地、知らない人々の中に放り込まれた狛治は、大きな虚無感を抱いていたことだろう。

こんな世の中は糞くらえだ。
どいつもこいつもくたばっちまえ
なんでこんな糞みたいな奴らが生きてて
俺の親父が死ななきゃならねぇんだ

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第154話「回顧強襲」

男たちと殴り合いをしながら、こんな恨み節を吐き続ける狛治の心の中に垣間見えるのは、理不尽ばかりに見える世の中への不平不満と父への変わらぬ愛情である。

「強くならなければ」父親を救えないという理由で何よりも強さを求めた狛治は、過酷な生活環境の中で身につけた身体的・心理的な強さを正しく使う機会に恵まれなかった。

その意味で、「強さの使い方と使う相手」を与えてくれた慶蔵との出会いは、まさに暗闇の中に見出した一筋にして唯一の光明だと言えるだろう。

慶蔵が狛治に与えたもの

素山慶蔵という人物は、不思議な雰囲気をまとった男である。

多勢の男たち相手に大立ち回りを演じる少年狛治の元を訪れた慶蔵は、ヘラヘラと笑顔を浮かべて狛治の豪快な暴れっぷりを褒め称える。

特に武器を持つ相手に素手で立ち向かっている姿に共感を覚えたらしい。
素性も良く知らない狛治に対して、「道場に来て門下生になれ」とまさかの勧誘をぶちかます。

突然の乱流者に激怒した狛治に対して、慶蔵は笑顔で言葉をかける

うむ、まずは生まれ変われ少年 さあ来い!

結果は狛治の惨敗。
慶蔵の拳でタコ殴りにされ、失神する。

この「まずは生まれ変われ」という言葉が非常に興味深い。
慶蔵の意図を想像すると2つの可能性が考えられる。

❶かつて同じような境遇の少年と出会ったことがある。
素流の看板を背負う武芸者として流浪をする中で、狛治と同じように不遇な境遇に陥り、荒れた人生を送らざるを得なくなった少年と出会い、その拳で更生させたことがあるという可能性。

❷慶蔵自らの過去を狛治と重ねている
もう1つの可能性は、かつての慶蔵自身が、狛治と同じ状況にあったというものだ。
慶蔵自身の過去は作中で語られないが、その性格や振る舞いから、かなり奇天烈な人生を歩んできたであろうことは想像できる。

彼自身がかつて粗暴を極めた悪童であり、何かのきっかけで更生し、今に至った。
その経験から、狛治に「かつての自分」を見たということも考えられる。

真実はどうであれ、拳を交えることで狛治を「生まれ変わらせる」自信が慶蔵にはあったということになるだろう。

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狛治という名前に込められた思い

狛治は慶蔵の門弟となり、道場で暮らしながら素流の技を学びつつ、慶蔵の娘・恋雪の看病をするという役目を与えられた。

素流道場には他に門弟がいないので、そこからの収入は期待できない。
狛治自身には「便利屋のような」仕事があり、その間の留守を任せたいということだろう。

慶蔵の妻、恋雪の母は「看病疲れで入水自殺」をしてしまったとあっさり片付けられ、悲しんでいる様子は感じられない。
その点は不可解ではあるが、詳しい事情がわからないので、それ以上考察のしようがないだろう。

重要なのは、「狛治が再び守るべきものを手に入れた」ということだ。
自分と同じく肉親を亡くした経験を持ち、父と同じく病に苦しむ恋雪。

「手間をかけて申し訳ない」
「咳の音が煩くて申し訳ない」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第155話「役立たずの狛犬」

と謝ってばかりいる「弱者」の姿を不思議に思う。

狛治にとって、彼らの看病=守ることは苦労でも何でもないのだ。
「看病疲れで入水自殺」した恋雪の母とは対極の考え方を持っているということになる。

「ハクジのハクはコレか、狛犬の狛かあ」
「お前はやっぱり俺と同じだな。何か守るものがないと駄目なんだよ。お社を守っている狛犬みたいなもんだ」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第155話「役立たずの狛犬」

と慶蔵が語っている。

神社や寺の参道に控える狛犬は、邪気を払い、神聖な区域を守るために鎮座する一対の霊獣。言わば、神社や地域の守り神である。

荒川弘の大人気漫画「黄泉のツガイ」において主人公ユルに使えるツガイである左右様は、まさに村の入り口に置かれた狛犬が具現化したものだった。

慶蔵にとっては、やはり「狛治は自分と似た存在」という認識であることが分かる。
「守るべきもの」がある時にこそ、真の力を発揮することができる。

共に「譲ってもらった大事な道場を守る。娘の恋雪を守る」、「衣食住を与えてくれた素流道場を門弟として守る。看病を託された恋雪の命を守る」という明確な「守るべきもの」を手に入れ、有意義な人生を送る姿が描かれる。

慶蔵には、「奥方が入水自殺をするまで追い詰められないうちに何とかできなかったの?」という疑問はあるが、そこは男女の関係である。

我々他人には踏み込めない事情があるのかもしれない。

慶蔵との絆、恋雪と歩むはずだった幸せな人生

狛治にとって慶蔵は師匠であり、父であった。

道場で共に暮らし、3年の歳月が過ぎる。

狛治は持ち前の「強くなりたい」という想い、そして実力者である慶蔵の指導によって、舞踏家として 着実に力をつけていた。

隣接する道場との跡取り息子を連れ出し、置き去りにした事件(鬼滅の刃18巻:設定こぼれ話)を発端とする素流道場と隣接道場の試合では、狛治一人で相手をねじ伏せ、たった二人の武術道場が門弟67名の大道場に対して完全勝利をおさめている。

武道家として成長し、そして献身的な看病で恋雪の病気を完治させた努力と愛情。

そこには、かつてスリの常習として奉行所の世話になり、所払いをされるような悪童だった頃の面影は微塵もない。
良くも悪くも、馬鹿正直な程に素直であり、与えられた課題に対して実直に粘り強く取り組める。それが狛治の大きな長所だ。

そして、自分が絶望的な状況に置かれていたとしても、決して未来を諦めていない。当たり前のように努力をしたその先には、明るい未来が当然待っていると信じて疑わないのだ。

狛治の父と恋雪。
どちらも狛治の愛情のこもった看病を受けた二人であるが、その行き着く先はまったく違った。

狛治の放つ希望の光に耐えられず、その眩さから避けるように、自らの命を絶ち、狛治から離れた父親。
狛治が言い放つ「明日は、来年は、当たり前のようにやってくる」という言葉を信じ、病気に打ち勝ち、生き永らえる未来を信じた恋雪。

太陽のような存在の狛治に寄り添い、共に生きる決意をした恋雪は、江戸時代にはあるまじき「逆告白」によって、狛治との結婚を勝ち取る。

「俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第155話「役立たずの狛犬」

そう力強く約束した狛治の男っぷりは、実に清々しく、見ているこちらが幸せな気持ちでいっぱいになるシーンではあるが、この「約束」がその後の狛治を苦しめるカセになるとは、この時誰も思わなかった。

狛治が父親の墓参りで留守の間、隣接する道場の連中によって井戸の中に毒を入れられた慶蔵と恋雪は、そろって非業の死を遂げる。

帰宅後、その事実を知らされた狛治は、犯人である隣接道場の門下生67名を撲殺し、その後、鬼舞辻無惨によって鬼化された。

無惨を前に

「もうどうでもいい…全て」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第155話「役立たずの狛犬」

とつぶやく。
これは偽らざる狛治の本心だろう。

【仮説】正式な「仇討ち」を行うことはできなかったのか?

江戸時代には、幕府が正式に認める形で行う「仇討ち」という制度が存在した。

武士という「名誉と体面」を何より重んじる人々が、厳格なルールに則って行う、仇に対する戦闘行為。

現代では、もちろん禁止されているが、武士の時代にあっては必要不可欠なものでもあった。

ただ、仇討ちが許されているのは、「武士階級」に所属する者のみ。
農民や商品が行えば、それは死闘であり、相手を殺してしまえば殺人になる。

だからこそ、闇に紛れて悪人に対して天誅を下す「必殺仕置人」なる職業が生まれた訳だ。

武士なら好きなように仇討ちしても良いかと言うとそうでもない。

仇討ちとして有名な「赤穂浪士の討ち入り」のように、家臣が主君の仇を討つというのは認められる。
これは、身分が下のものが、上の者のために行動する行為だからだ。

同様に、子どもが親の仇を討つ、弟が兄の仇を討つというのも問題ない。

反対に、子どもが親、兄が弟、主君が家臣という仇討ちは認められない。
その点が非常に面白い。

本格チャンバラ漫画「無限の住人」では、逸刀流によって親を殺された少女・凜が、不死身の侍「卍(まんじ)」を用心棒に仇討ちをするというストーリーだが、この場合、「親の仇を討つ子」なので、仇討ちは認められる。

仇討ちは、幕府の役所に対して「届け出」を出すことで、「正当な行為」として認めてもらう必要がある。

もし、殺されたのが慶蔵、もしくは恋雪どちらかだけだったら、狛治は隣接道場の門人を惨殺するという行為には及ばなかった可能性が高い。

必ず、どちらかが狛治を止めていただろう。

その上で仇討ちを申請すれば、許可は降りたかもしれない。
そもそも、「他人の家の井戸に毒を盛る」という行為自体が犯罪なので、その場を耐え忍べば、お上によって捕縛、犯罪者として裁かれていた可能性も少なくない。

狛治にとっては、「慶蔵・恋雪が二人とも殺されてしまった」という点が、運命の分かれ道だった。

どちらが生き延び、狛治の強行を止めていれば、彼は鬼になることもなく、猗窩座によって殺された人々や鬼殺隊メンバー、そして煉獄杏寿郎においても、その運命は変わっていたかも知れない。

猗窩座の過去は、悲運の連続。あまりにもツキがなかった自分に正直な男


大切な父親を守ろうと犯罪まで犯したのに、父親は自分を残して死んでしまう。

自暴自棄になった時期を経て、慶蔵という恩師、そして恋雪とめぐり逢う。
穏やかで、幸せな時を過ごし、ついに恋雪と結ばれるという時に、今度は家族とも言うべき二人を「殺意」により失った。

67名殺害という復讐を終えた今、狛治の心の中はまったくの伽藍洞、何もかも残っていない状況である。
何かがあるとすれば、それは後悔。

二人を残して墓参りに行ってしまった後悔。
必ず守るという約束を反故にしてしまった後悔。
父親に続き「また守れなかった」という後悔。

すべてを忘れてしまいたい、消えてしまいたい。
その切なる願いを奇しくも無惨が叶えた形になってしまった。

狛治は、鬼となり、猗窩座となった。
記憶を失い、ただ「強くなる」という強固な意思を持った殺人鬼に成り果てたのだ。

猗窩座=狛治の人生にとって、最も重要な恋雪との関係性と悲しい顛末をこちらの記事「猗窩座と恋雪はどうなった?」にて解説。
ぜひご覧いただきたい。

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猗窩座の過去【鬼時代】煉獄杏寿郎の死と弱者・竈門炭治郎の放った刃が生んだ因縁

猗窩座となった狛治は、武人としての強さを求めて戦闘を繰り返す。

弱者を何よりも嫌い、強さを求める変わり者。

他の鬼のように人を喰らうことや、童磨らのように人を弄んで楽しむことをせず、ただひたすらに武の道を極めんとした。
その辺りにも、狛治の生真面目さ、努力家の面が残っているように思える。

その姿勢は、鬼舞辻無惨にも高く評価され、「女を食わなくても許される」など、特別措置を受けている。
一方、猗窩座自身は鬼舞辻無惨に対して、他の鬼のように圧倒的な服従を示すわけではなく、どちらかといえば「関心がない」様子。

「命令を下す者、従う者、それだけで、そこには尊敬も畏怖も憎しみも一切がなかった」とされている(鬼殺隊見聞録・弐)。

鬼として武を極める姿勢

猗窩座の鬼としての行動原理は「より強くなること」それだけである。

強者に対する賛辞を惜しまない反面、弱者に対しては非常に冷酷な対応をする。

これは「自分が強くなるためには、より強い相手と戦う他ない」という経験によるものだと推測される。

猗窩座にとって「強さの象徴」は、師匠である素山慶蔵だろう。
15歳の時に所払いをされて暴れているところを慶蔵に殴り倒され、気絶している。

人生において明確な敗北、「自分以上の強者」に出会ったのは初めての経験であり、「自分より強い」という事実があったからこそ、素流道場の門下生となり、恋雪の看病をするという「役目」をすんなりと受け入れたのだ。

狛治にとって「強さ」とは「守るべきものをしっかりと守れる力」という意味だった。
対して、猗窩座の目指す至高の強さとは、単なる「戦闘能力比べ」でしかない。

拳なり、刀なりを交えた上で、どちらが生き残っているか。
それだけが、価値基準である。

狛治としての記憶を失い、恋雪や慶蔵と過ごした思い出のかけらを胸に、「守るもの存在」を忘れたまま、「ただ強くなる」ということだけを求めた。

「強くなり、一生守り続ける」ことは、恋雪との約束だったはずだが、恋雪を失ったことで、強くなることだけが目的として残ってしまった。

その結果

「百年以上も無意味な殺戮を繰り返し」
「なんともまあ惨めで滑稽でつまらない」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃18巻:第155話「役立たずの狛犬」


時間を過ごしたのだ。

第154話「懐古強襲」の意味とは?

第154話「懐古強襲」は、炭治郎によって首を斬られた猗窩座が、己の過去を思い出す「懐古エピソード」である。

「懐古=昔の事をなつかしく思い出すこと」である。

「強襲」=猛烈な勢いで襲いかかること。

2つ合わせて「懐古強襲」。

つまり、猗窩座が忘れていた、封印していた過去が、怒涛のように押し寄せてきたという意味だろう。

続く第155話「役立たずの狛犬」を合わせて2話で、猗窩座=狛治が味わった悲しすぎるエピソードが語られる。

この2話だけでスピンオフ映画が出来そうなボリュームがある訳で、猗窩座を語る上で欠かせない場面となっている。

猗窩座の敵は、冨岡義勇と炭治郎の二人だけではなく、その心の奥底に眠る狛治としての記憶、父との思い出、慶蔵の教え、そして恋雪の愛。

それらすべてが、猗窩座を元の優しい狛治に戻そうと懸命に働きかけている様子が、感じられる。

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女を食わぬという信念

童磨によれば、鬼の世界において「人間の女性」は栄養価の高い極上の食べ物だ。
子を産むという爆発的生命パワーをもつ女性のエネルギーを、そのまま体内に吸収できるということなのだろう。

しかし、猗窩座は女を食わないどころか、殺さなかったという。
無惨もそれを認めていたというのだから、猗窩座にとって揺るがない信念だったのだろう。

鬼は人間を食えば食うほど強くなる。

至高の強さを求める猗窩座からすれば、「食うだけで強くなれる」のだから、やらない理由はないはずだ。

しかし、劇中で猗窩座が人を食っているシーンが一度もないように、猗窩座には鬼の代名詞である「人を食う」ことが似合わないという特異性がある。

「女性に暴力を振るわない」というのは、猗窩座にとって「強さ」の条件であったという可能性はないだろうか。

男尊女卑が当たり前だった江戸時代において、猗窩座=狛治は、歳下の女性である恋雪を献身的に看病し、復讐のために立ち入った隣接道場においても女中だけは殺していない。

女に手をあげるは男にあらず、それ強さにあらず。
そういったこだわりが、猗窩座に対して、鬼と化してさえ「人間臭い部分」を感じさせる理由なのだろう。

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人間を取り込んでパワーアップするのはヴィランの専売特許

人間を体内に吸収することで強くなるという描写・設定は、よく少年漫画でも使われる。
例えば、名作「ドラゴンボール」に登場したヴィラン「セル」が思い出される。

彼は、人造人間であるが、同じ境遇の人造人間たちを取り込み、パワーアップしている。
やはり手っ取り早く、飛躍的に能力を上げるには、「ドーピング」は不可欠ということだろう。

しかし、これをヒーローがやってしまうと、興ざめなので(進撃の巨人では食ってた?)、やはり炭治郎には「地道に修行をして強くなる姿」がよく似合う。
ちなみに、孫悟空やベジータなどサイヤ人は「瀕死の状態から復活するとめちゃんこ強くなる」という裏技を持っていたが、これはこれで胸熱だったので良しとしよう。

煉獄杏寿郎との死闘、炭治郎との出会い

猗窩座の初登場シーンは、無限列車編の最終盤。
眠り鬼・魘夢(えんむ)との死闘後、炭治郎と煉獄杏寿郎の前に突如として現れる。

猗窩座の話好きは有名だ。
とにかく人間と喋りたがる。
その点は、無口・寡黙を絵に描いたような狛治のイメージとは異なる。

猗窩座は「弱い炭治郎」を即座に抹殺しようと試み、練り上げられた闘気を持つ杏寿郎を「鬼にならないか」と勧誘している。
杏寿郎に鬼化を進める理由は

・鬼にならないと至高の領域にたどり着けないから
・人間は老いて死ぬから
・鬼なら百年でも二百年でも鍛錬し続けられるから

それに対して杏寿郎は「強さというもの肉体に対してのみ使う言葉ではない」と断じている。
猗窩座と煉獄杏寿郎の「価値基準の違い」とは、「強さ種類」ということだろう。

猗窩座が求めるのは、主に肉体的な強者。
鍛え上げられた武力によって、相手を制する力のことだ。

対して、杏寿郎の語る力とは、もちろん「武芸者としての強さ」もあるだろうが、それと同時に「心の強さ」も高く評価している。
だからこそ、炭治郎に対して「この少年は弱くない。侮辱するな」と述べている。

猗窩座にとっては「より強くなる圧倒的チャンス」である「鬼になるという誘い」を断った時点で、弱者のレッテルを貼るのにふさわしいということになるのだろう。

「鬼にならないのなら殺す」

【出展】吾峠呼世晴/鬼滅の刃8巻:第63話「猗窩座」


これまで数多の柱と対決してきた猗窩座は、その度にこの問答を行い、相手を「弱者」として抹殺してきたに違いない。

ボロボロで疲労困憊の杏寿郎、与えられた斬撃がすべて回復し無傷の猗窩座。
すでにこの時点で勝敗は決していると言える。

日の出を恐れ、自らの腕を引きちぎって逃げる猗窩座の背中に、炭治郎が放った日輪刀が突き刺さる。

「逃げるな卑怯者」という炭治郎の言葉に怒りを募らせた猗窩座だが、「武芸者として逃げる途中で後ろから刺される」ということが、以下に惨めなことであるかには気がついていない。

それだけ、猗窩座自身が動揺していたのだろうと推測される。

猗窩座再来!無限城にて再び炭治郎と相まみえる

このように猗窩座との浅からぬ因縁を持つ炭治郎は、無限城にて再び、宿敵と相まみえる。

心の師ともいうべき煉獄杏寿郎の弔い合戦を、兄弟子である水柱・冨岡義勇とともに決行するという胸熱な展開は、漫画、映画にて多くの鬼滅ファンの心を燃やしたことだろう。

猗窩座の過去を知る我々読者からすれば「そんなに狛治くんいじめんといて!」と思ってしまうところだが、炭治郎たち鬼殺隊にとっては、忌むべき相手。
人類の敵であり、杏寿郎の仇である。

鬼の中でも特に人間臭く、かつ悲劇に満ちたエピソードを持つ猗窩座/狛治。
その過去を知ることで、より深く、彼の生き方、戦いっぷり、そして散り様を理解できるはずだ。

無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!

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この記事を書いた人

「猗窩座|狛治」というキャラクターに魅了され、猗窩座.comを立ち上げ。漫画大好きで蔵書は数千冊。社会倫理思想の観点から独自の漫画分析を試みる地方在住のお気楽フリーライター。

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