滅の刃に登場するキャラクターの中でも屈指の人気を誇る猗窩座。
十二鬼月という悪どい鬼であり、れっきとしたヴィランであるにも関わらずの人気ぶりにはどんな理由が隠されているのか。
今回は、「猗窩座のかっこいいところ」について、論じてみたいと思う。
当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。
無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!
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猗窩座がかっこいいと言われる理由
「かっこいい」という表現にもいろいろある。
見た目がかっこいいというのもあるだろうし、内面のかっこよさというのも考えられる。
猗窩座は、鬼滅の刃の中では悪役であり、こちらも人気キャラクターの煉獄杏寿郎を葬った男である。
煉獄ファンにとっては、まさに「推しの仇」なのだから、恨んでる人も多いかも知れない。
猗窩座は杏寿郎の件もあって、炭治郎とも浅からぬ因縁を持っている。
ということは炭治郎ファン・煉獄ファンというきっとものすごく数が多いであろう鬼滅ファンを敵に回していることになる。
それでも猗窩座というキャラクターに魅力を感じてしまうのは、やはり理由がある。
武道家としての生き様
猗窩座は、鬼にしておくのがもったいないほど、律儀で一途な男だ。
過去の記憶はなくしているものの、武人として至高の強さを追い求め、ただただ強者となるために闘い続ける。
弱者への憎しみは、「弱さ故に大切なものを守れなかった自分」への怒りであり、「己に勝つ」という武道全体に通じる考え方が極端になりすぎた結果だと考えられる。
そこには当然、師匠である素流師範・素山慶蔵の教えが強く影響しているのだろう。
猗窩座が強者に対して「鬼になることを勧める」のも、強さへのこだわりからだろう。
疲れもせず、傷は回復し、寿命もない。
鬼は人間由来の生き物ではあるが、人間の常識を凌駕した驚異的な生命力を持つ生き物である。
ただ、「死なない」というのは、ある種、大きなアドバンテージのようではあるが、武道家としては紙一重の脆さがあると私は考える。
普通の人間であれば、戦えば披露をするし、切りつけられれば傷を負う。
それが致命傷であれば、命を落としてしまう訳だ。
だからこそ、強者とは、相手を制する強さを持ちつつ、「相手の攻撃を受けない強さ」も持ち合わせていなければならない。
しかし、鬼のように「いくら攻撃を受けてもダメージがない」状況だと、相手の技を避けたり、防いだりする必要がなくなる。
いくら攻撃を受けても、再生するのだから知ったことではない。
だから、そのような「不死」の状態を続けていると、間違いなく「相手の攻撃をかわし、防ぐ能力」は衰えると考えられる。
痛快チャンバラ漫画「無限の住人」に出てくる主人公「卍(まんじ)」も血仙蟲というチベット由来の不死術によって不死身の身体を手に入れ、1000人斬りと恐れられる剣豪になった。
※ちなみに無限の住人実写版映画で卍を演じたのは木村拓哉である。
だが、卍はとにかく斬られる、やられる。
ちょっと強い相手だと、腕やら足やら、胴まで斬られて真っ二つである。
だが、確かにそこまでヤラれても死にはしない。
相手はもちろん生身の人間なので、時間をかければ疲労し、最終的には卍が勝つのだが。
「これって別に卍が強いわけじゃないやん」といつも思っていた。
それと同じことが鬼である猗窩座にも言える訳だ。
猗窩座は、不死身の鬼だからこそ、死を、敗北を感じない。
「やられても怪我をしない、殺されない」といった無敵のアドバンテージを持った者が本当の意味で強くなれるとは思えない。
素山慶蔵が猗窩座の姿を見たら、「おまえ、それは違うだろ」と、笑いながらたしなめていることだろう。
妻・恋雪への想いと悲しすぎる過去エピソード
多くの鬼滅ファン、特に女性ファンをときめかせているのは、おそらくここだろう。
煉獄杏寿郎を死に追いやった残酷な鬼に、こんな悲しい過去があったとは。
生まれながらにして報われなかった少年・狛治がやっとつかんだ幸せ。
守るべき家族と愛する妻・恋雪を眼前で失ってしまうという悲劇。
連載1〜2話で終わらせてしまうには、あまりにももったいない悲恋の物語である。
このエピソードだけで、スピンオフの映画を作っても良い思う。
タイトルは、「猗窩座物語」、「狛治と恋雪」、「悲しき狛犬」どうだろう?
猗窩座として鬼になり、悪行の限りを尽くしながらも、その心の底では、愛妻・恋雪のことを忘れていなかった狛治。
死の間際に、恋雪の胸で大粒の涙を流して泣いている猗窩座=狛治の姿に、「ええんやで、思いっきり泣いてええんやで」と大阪のおばちゃん風にもらい泣きした読者はきっと多かっただろう。
決して女性を食べない・チャラすぎる童磨との対比
猗窩座は女性を食べないことで知られている。
童磨によれば、子どもを生むことができる女性は多くのエネルギーを秘めたごちそうであるらしい。
人を食べれば食べるほど強くなれるのだから、「至高の強さ」を求める猗窩座は肥満になるくらい食べそうなものだが、猗窩座は「技の鍛錬による強さ」を求めていた訳で、ある意味「ドーピング的」な「女を喰らう」というやり方を好まなかったのだろう。
もちろん、深層心理としては「恋雪という愛する女性」の存在が大きかったことは言うまでもない。
女性を食べないことはもちろん、生粋のプレイボーイであり、チャラ男である童磨とは、どうやっても合わないだろう。
まさに対局に位置する猗窩座と童磨。
二人を比べてしまうと、どうしても猗窩座の方が好感度が高い。
愛を貫いたが、不運に見舞われて鬼となり、決して女は喰わないと決めていた猗窩座。
上手いこと世の中を渡り歩き、何となくノリで鬼となり勝手気ままに女を手籠めにする童磨。
このあまりにも異なる性質を持った二人の対比により、「童磨=ろくでもないやつ、「猗窩座=本当は良いやつ」という評価がより高まったのであろうと思われる。
キャラデザインの良さ
猗窩座のキャラデザインにおけるクオリティの高さも、かっこよさの要因であることはまちがいない。
鍛え抜かれた肉体と、爽やかな短髪。
ちょっと変わったタトゥーがやんちゃな雰囲気を醸し出す。
素手で戦う武人らしく、余計なものが削ぎ落とされたシンプルなスタイルは、好感度が高い。
おなじみの猗窩座ポーズから術式展開、素早い動きで鬼殺隊を翻弄し、華やかな名前の技を繰り出す。
地味なのか、派手なのか。
どっちやねんとつっこみを入れたくなることもあるが、黒死牟や半天狗、玉壺など「異形の鬼」が多い上弦の鬼にあって、より人間味が感じられるスタイルは、共感を呼ぶデザインと言えるだろう。
猗窩座をかっこいいと評価するネットの声
みんなのランキング「猗窩座(あかざ)はかっこいい?好き?嫌い?強さは?評価・コメント一覧」において、投稿されている読者の意見を見てみたいと思う。
<参照>https://ranking.net/items/328240
はじめは嫌いだった
はじめは嫌いだった。煉獄が死ぬ原因だし、無惨にパワハラ受けたときはちょっと不憫だったけどそれでも嫌いだった。
なのにその過去でやられた。強くなりたかった理由ってそれなのって感動した。
やったことは許されることではないが、来世は恋雪と親父さんと幸せになってほしい。
煉獄杏寿郎を殺したという「悪鬼」のイメージと、恋雪との悲恋のエピソードのギャップにやられたという人は多そうだ。
やはり「男はギャップだな」と思わせられる。
鬼滅の刃で唯一好き
悪人って訳でも善人って訳でもなくて、ほんとにこのキャラは人間って感じがする。
恋雪さん、師匠、狛治、お父さんの4人で来世こそは幸せになるべき。
<参照>https://ranking.net/items/328240
「人間味がある、共感できる」というのは、やはり人気ポイントであり、かっこよさの象徴的な部分だろう。
読者の誰もが、「来世では幸せになってくれ」と願わずにはいられない悲しすぎる過去エピソードの秀逸さが感じられる。
とにかく、かっこいいから
煉獄を倒した猗窩座の強さは衝撃的でした。強さや戦闘スタイルだけでもすごいのに、実は切ない過去があったなんてさらなる魅力を感じました。読んでいて思わず涙ぐんでしまいました。
<参照>https://ranking.net/items/328240
無限列車編で本格的に登場した煉獄杏寿郎は、これから鬼滅の刃にとって重要なキャラになっていくんだろうな…と見せかけて、<鬼滅の刃8巻・第66話「黎明に散る」>にて非業の死を遂げてしまう。
多くの読者が「マジかっ、吾峠!」と叫んだに違いないが、このエピソードは「鬼と戦う鬼殺隊の厳しさと虚しさ」を象徴するものとして、後々大きな意味を持ってくる。
それと同時に「上弦の鬼・猗窩座」の強さを読者に植え付ける場面でもあり、「上弦は強い、猗窩座は強い」という印象を私たち読者の頭の中に植え付ける結果となった。
猗窩座のかっこいいシーンNo.1を選んでみた
私が「猗窩座のかっこいいシーンベスト1」として選びたいのは、「鬼滅の刃18巻・第156話「ありがとう」で、自分自身に必殺拳を食らわせ、自死しようと試みた場面である。
鬼となる前の記憶を取り戻し、自分の過ちに気がついた猗窩座。
炭治郎の素晴らしい剣技による渾身の一撃で首を斬られ、素直に負けを認め、相手の技を称賛した。
これぞ、本来の猗窩座=狛治である。
武人とは、自らを律し、至高の強さを求める訳だが、それは「戦う相手がいて」初めて成立するものだ。
試合=死合であり、命をかけたやり取りの中でお互いの強さを認め合い、敬うこと。
これこそが、本当の武人の生き様だろう。
猗窩座は、人生の絶望から一度は無惨の手に堕ちたが、正真正銘の気高き武人らしく、最期は原点に立ち戻り、自らの敗北という形で人生に終止符を打った。
この潔さこそ、猗窩座を「かっこいい存在」足らしめるものであると、私は考える。
猗窩座のかっこいいBGN
猗窩座はアニメにおける登場シーンのBGMも「かっこいい」と評判が高い。
猗窩座登場シーンのBGMは、椎名豪氏作曲の「猗窩座 出現」が特に人気だ。
無限列車編での、煉獄杏寿郎との手に汗握る死闘。
その激しい戦闘シーンにおける緊迫感と、命を賭して戦う杏寿郎との悲壮感すら漂うやりとりを彩る音楽は、「鳥肌もの」と絶賛されている。
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