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猗窩座の過去が泣ける3つの理由。つい同情しちゃう良い子すぎる狛治と可哀想すぎる恋雪

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猗窩座の過去が泣ける3つの理由。良い子すぎる狛治と可哀想すぎる恋雪
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近年の漫画・アニメ作品においても「泣けるエピソード」としてファンに愛される「猗窩座の過去」。

猗窩座の過去に何があったのかは、こちらの記事「猗窩座の過去まとめ。苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘」にまとめられているので、その全体像を知りたい方はぜひご覧いただきたい。

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猗窩座の過去まとめ|苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘

猗窩座=狛治の人間時代における人生は18年しかなく、劇中で描かれたのは、たった3〜5年程度になる。

それでも彼が生きた濃密な人生は、人々の心を震わせてやまないのである。

「猗窩座の過去が泣ける理由」を3つのポイントに絞りかつ、「同情」というキーワードを軸にして考えてみる。

当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。

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目次

①猗窩座の過去が泣けるのは「人間時代の狛治がとっても良い子」だから

猗窩座は鬼になる前の名前を狛治という。
江戸近郊の街で長屋での貧乏暮らし。
病で床に伏せる父親を2人きりの生活なので、当然、金はない。

狛治は父親に薬を買うため、スリ稼業に手を染める。
この時、若干15歳。

当然、奉行所に何度もつかまり罰を受けるが、狛治の信念は変わらない。

この頑固一徹な性格がどういう過程で作られたのかは不明だが、狛治は「超」のつく良い子である。

もちろん犯罪を行うのは悪いことなのだが、病気の父親を救いたいという気持ちは分からないでもない。

狛治が生きた江戸時代では、現代のような「福祉サービス」「弱者を社会全体で救う考え方」などがあるはずもない。

士農工商というがんじがらめの身分制度を作られ、年貢だ税金だと搾り取られる生活。

貧富の差は開きっぱなしで、貧乏人はとにかくつらく、苦しく、最後にはのたれ死ぬだけ。

そういった過酷な環境の中にあって、狛治は「犯罪を犯さなければ生きられない状況」に追い込まれていたのは間違いない。

例えば、狛治を捌いたのが、かの名奉行「大岡越前守」だったら。

落語「三方一両損」のように、見事な大岡裁きで狛治に救いの手を差し伸べてくれたのかもしれないが、残念ながらそんな奇跡の出会いは起きなかった。

だが、我々読者は「狛治ってえやつは健気だねえ」「がんばれ、狛治!」「貧乏なんかに負けるんじゃねえ」とついつい狛治を応援してしまいたくなる。

「思わず好きになってしまうキャラクター」という魅力が狛治にはあるのだ。

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【参考】落語「三方一両損」とはこんな話

正直者の金太郎という男が、ある日3両入った財布を拾った。
持ち主の吉五郎を見つけて届けた所、トラブル発生。

吉五郎は「一度落とした財布は俺のもんじゃねえ」とまさかの受取拒否。
江戸っ子2人の意地の張り合いから、ついには大喧嘩に発展してしまう。

2人の訴えを聞き入れ、裁きをするはかの名奉行・大岡越前。

越前は、なんと自腹で1両を足してお金を全部で4両に増やし、それを2人に分け与えて解決するという見事な大岡裁きを披露する。

つまり

金太郎=3両もらえるはずが、2両になって1両損
吉五郎=3両帰ってきたはずなのに、2両になって1両損
越前=なーんにも関係ないけど自腹で1両出したので1両損

三人がそれぞれ1両ずつ損をして丸く収めるという、なんとも清々しい江戸っ子の気風が光るエピソードである。

この落語について、もう少し詳しくしりたいという方は、ジャンプにて連載中の落語漫画「あかね噺」の1巻をご一読くだされ。

「あかね噺」を読んでみる。

②猗窩座の過去が泣けるほどに不遇過ぎる。もはや令和のおしん・家なき子状態

狛治は、「持っていない男」だ。
とにかく、不運。圧倒的に不運。

かつて昭和・平成において涙を誘った、おしんや家なき子に匹敵する可哀想さなのだ。

神様に見放され、ついには鬼=鬼舞辻無惨に出くわしてしまうという、圧倒的なマイナスの引きを持った男である。

あれだけ献身的に看病をしていた父親に自殺されてしまい、途方にくれる狛治。

治らない病、自分のために犯罪を犯す息子。
そういった状況であれば、うつ病を発症していてもおかしくない。

責任感のある真面目な人であればあるほど、そういった「どうにもならない状況」に絶望感を感じるだろう。

だが、親としての責任を果たすなら、子どもを放っておいて自分だけ楽になるという選択は「身勝手」と言う他ない。

せめて、狛治の行くあてを作ってからこの世を去るとか、やれることはあっただろう。

死者に鞭打つようで申し訳ないが、狛治父の自死はやはり、逃げの一手であったと言わざるを得ない。

そういう意味では、狛治自身は被害者だ。

たった一人の肉親に自殺され、狛治はこれからどうやって生きていけば良いのか。

グレてしまうのも分かる気がする。
ここでも、我々読者は、ついつい狛治に同情してしまうのである。

運がないというのは、人間どう努力しても抗えないものである。

狛治という人間が不幸になってしまった理由が「本人の落ち度ではない」という点に、我々は同情の念を持つ。

同情によって、他者の痛みを知ることができる

19世紀ドイツを代表する哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアー(1788〜1860)は、同情の倫理学を提唱している。

人間は本来、自分勝手なエゴイストであるが「他者の苦しみや痛み」をまるで自分のことのように感じる「同情」の瞬間にのみ、両者の間にあるエゴイズムの壁が破壊されると説明した。

ショーペンハウアーは、これを「自分と他者の境界が消える神秘的な体験」であると説明している。

つまり、狛治のつらく厳しい少年時代への同情は、私たち個人のエゴイスティック(自分勝手)な感情を超越して、狛治との同調を可能にするのである。

エヴァンゲリオン的に言えば、「シンクロ率がアップした」状態になるということだろう。

故にこのエピソードを読んで「ああ、狛治は可哀想だな」と素直に思えるということだ。

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恋雪との純愛が猗窩座の「泣ける」を加速する

江戸払いをされて暴れていたところを素山慶蔵に拾われた狛治は、運命の女性・恋雪と出会う。

ここで狛治の人生は一気に好転する。

「守るべき人」を与えられた狛犬・狛治は、素流の門下生として稽古に励みながら、恋雪の面倒を見る。

狛治にとっては「まったく苦労にもならない作業」であり、それまでの何の目標もない荒れた生活に比べれば、それは天国のようなものだろう。

慶蔵自身も裕福ではなかったが、一丁前に道場と家を持ち、便利や稼業ではあるが仕事もあった。

我々は普段、それぞれ苦労はあるだろうが「普通の生活」をしている。

ある程度、自由にご飯が食べられ、住むところがあり、文句を言いながら一ヶ月頑張れば、とりあえず給料がもらえる。

そういった当たり前の生活が「できなくなった時」、それは人が人生に絶望する瞬間だと思う。

狛治にとって「当たり前じゃない生活が当たり前」だった。

そういう経験をしてきた人間だからこそ、「人としての当たり前の生活」がどれだけ幸せなものだったか、想像するに難くない。

ただ、「悲劇の主人公になるために生まれてきた」ような人間だった狛治は、そのつかのまの幸せさえも奪われてしまう。

恋雪と夫婦になることになった狛治だが、嫉妬に狂った隣接道場のバカ息子によって妻と義父を毒殺される。

これに関して、狛治には何の落ち度もない。
裁判になれば、100%隣接道場バカ息子の有罪は確定的である。

狛治は我慢が出来る男だ。
たいていの苦しみや理不尽は、その類まれな精神力で我慢をしてきたのだろうが、この一件に関してはそれができなかった。

「ぷつんとキレた」という言い方が、ありきたりではあるが的を得ているかも知れない。

狛治は、隣接道場の門人60余名をその手で撲殺する訳だが、現場にいた女中には手にかけていないところを見ると、そこを見定める判断力は残っていたようだ。

もうどうても良いすべてが…

鬼滅の刃18巻・第155話「役立たずの狛犬」

無惨に対して言い放ったこの言葉がすべてを物語っている。

「もうどうでも良い」
それは人間にとって「生きる希望そのもの」を失ったということに他ならない。

猗窩座にとって、鬼になることは「人間としての死」。

生きながらえたかった訳ではないと思う。

ただただ、今置かれている状況すべてに興味がない、何かをしようという気持ちがない。

幸せを掴みかけていた純朴な青年に対する、この非道な仕打ち。

吾峠呼世晴先生も、あまりにもなお話を考えるものだ。

一生懸命がんばっているのに報われない。

鬼に堕ちた理由を我々が知れば知るほど、猗窩座=狛治への同情は強くなるばかりなのである。

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③猗窩座の過去を泣かせる純愛。恋雪とのエピソードがあまりにも悲しい

ここでの稽古と恋雪の看病で俺の心は救われた
鬼滅の刃18巻・第155話「役立たずの狛犬」

と猗窩座=狛治自身が語っているように、素山慶蔵・恋雪親子との出会いは、彼にとって大きなターニングポイントだった。

素山慶蔵は、狛治がなくしてしまった父親代わりとなり、恋雪は狛治にとって大切な「一生をかけて守るべき人」だった。

狛治は、どうしても能動的に行動ができない性格であるらしい。

自分のために何かをするということが苦手なのだ。

その代わり「誰かのために」であれば、全身全霊をかけて働ける。そういう男である。

そのため恋雪自身が「狛治のことが好き」というまで、そういった感情にさえも気づかず過ごしていた。

彼は高倉健の700倍ほど、不器用な男なのだ。

狛治の献身的な看病によって、病を克服した恋雪。
愛の力というのは偉大だ。
感情、生きたいという気持ち、それは人間にとって大きな要素だ。

病は気からというように、気持ちが切れてしまっては身体も衰えていく。
その良い例が狛治の実父だろう。

「いつか一緒に花火を見たい」という恋雪の願望、その思いが生み出した生命エネルギーが、恋雪を元気にしたのだ。

そこに狛治の献身的な看病と知らず知らずのうちに恋雪に与えていた「希望」という最高の薬の効果があったことは言うまでもない。

もし恋雪が一緒に墓参りに行っていたら…

鬼滅読者の中には、禰豆子ファンが多いように思うが、実はこの「恋雪推し」もかなりの数いるのではないかと思ってしまう。

例えば、2人が毒殺された日、狛治は父親の墓参りに行って祝言の報告をしていたのだが、そこに「恋雪が同行」していたら。

慶蔵は残念ながら亡くなってしまったかもしれないが、最悪の悲劇だけは免れたはずだ。

毒を入れた隣接道場は取り潰し、慶蔵亡き後、狛治と恋雪はそこで慎ましく、幸せに暮らしていく。

狛治が猗窩座になることもなく、煉獄杏寿郎も死ななかったかもしれない。

運命の歯車というのは残酷だ。

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猗窩座の過去に負けない泣ける過去を持つ漫画キャラクター列伝

愛する人のために手を汚した者

うちはイタチ(NARUTO -ナルト-)

一族によるクーデターを阻止するため、愛する弟を除くすべての人間を自らの手で皆殺しにするという極秘任務を全うした悲劇の忍者。人生のすべてを失い、最愛の弟から憎まれ続けるという地獄を生き続けた男の生き様に涙が止まらなかったというファンが多い。

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アン(アンデッドアンラック)

能力のせいで、最愛の両親亡くし、さらに周囲の人々も次々に不幸にしてしまうという恐ろしい運命を背負っている。彼女が死にたい理由が「自分が生きているだけで誰かを殺してしまう」という不条理に耐えられないという絶望、心根の優しさ故であることが判明した時、多くの読者が胸が締め付けられる想いがした。

アンデッドアンラックを読んでみる

孤独と絶望の幼少期を過ごした者

ニコ・ロビン(ONE PIECE)

故郷オハラを海軍の暗躍によって滅ぼされ、わずか8歳で巨額の懸賞金をかけられた悪魔の子。
誰を信じることもできずに生きてきた彼女が、ルフィ率いる麦わら海賊団という仲間を得て発した魂の絶叫は漫画史に残る感動シーンである。

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ガアラ(NARUTO -ナルト-)

里の「殺人兵器」として育てられ、実の父親によって暗殺者に育て上げられた。
愛を求めながらも、自分のみを愛して死闘を繰り広げたガアラが、やがて信頼できる仲間を得ていく姿が涙を誘う。

NARUTOを読んでみる

理不尽な喪失という運命を背負った者

リヴァイ・アッカーマン(進撃の巨人)

劣悪な環境で母を亡くし、自分を育ててくれた恩人にも捨てられる。調査兵団入団後も仲間を失い続けた彼だったが、死んでいった者たちの意思を背負い、感情を表に出すことなく、常に「悔いの残らない選択」をし続ける姿が切ない。

進撃の巨人を読んでみる

早川アキ(チェンソーマン)

眼の前で家族を失った 復讐のためにデビルハンターになった彼のあまりにも理不尽な行く末にビツクリする。

チェンソーマンを読んでみる

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この記事を書いた人

「猗窩座|狛治」というキャラクターに魅了され、猗窩座.comを立ち上げ。漫画大好きで蔵書は数千冊。社会倫理思想の観点から独自の漫画分析を試みる地方在住のお気楽フリーライター。

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