当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。
無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!
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猗窩座の人間時代は不幸の連続。狛治のかわいそう過ぎる少年時代
猗窩座の人間時代=狛治の人生は、それはもう不憫の連続であり、決して恵まれた生き様とは言えなかった。
病気の父を持ち、10代前半で、その薬代を稼ぐためにスリ稼業に精を出す。
奉行所に何度も捕まり犯罪者の印である入れ墨を入れられ、一生消えない犯罪者のレッテルを貼られた。
その努力のかいもなく、父親は自分を残してこの世を去る。
住み慣れた街を追い出されてで出逢った素山慶蔵に拾われ、貧乏道場にて、住み込み門下生として娘の恋雪を看病するという役割を与えられる。
元来、狛治は真面目な男である。
仕事を与えてやれば、しっかりと働く男なのだ。
彼は仕事を得て、守るべきものを得て、まっとうな生活を手に入れる。
しかし、その幸せな時間もたった3年。
愛する人を再び失い、狛治は鬼に堕ちる。
猗窩座=狛治の過去のエピソードは、 猗窩座の過去まとめ|苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘にまとめられているので、ご一読を。
猗窩座の人間時代は、母親の存在が希薄だった?
狛治には母がいなかった
劇中に描写はないが、狛治には母親がいなかった。
死別したのか、夫を捨てて出ていったのかは分からないが、病床の父のためにスリを働いていた時分には、すでに母親の姿は見当たらない。
子ども、特に男の子にとって、母親は非常に重要な存在である。
幼い子どもにとって、母親とは優しさの象徴であり、自分を守ってくれる心の拠り所だ。
野生動物でさえ、最初のうちは母親にくっつき、後を付きながら生きる術を学ぶ。
母親がいない、幼少期に失うことは、様々な人生経験において機会の損失が起こる可能性が高い。
狛治の場合、母親がいなかったことで自立が早まった可能性はある。
父親しかいない家庭では、どうしても家にいる子どもが「母親の役目」を担う必要があり、兄弟姉妹がいれば、その「母親役」を長兄が務めるということも少なくないだろう。
母親が鬼となってしまった不死川兄弟の場合は、兄の不死川実弥がその役を担っていたということになる。
狛治の真面目な性格は、「母無し子」故に磨かれた特性だったのかもしれない。
母親の代わりに家を切り盛りする、父の面倒をみる。
父が病気に伏せってからは、その体調にまでも気を使う。
もはや、この働きっぷりは「肝っ玉母さん」のそれである。
母親の不在は、狛治に少年らしさを失わせ、かつその元来真面目な性格から、「人のために働くことの苦労」を感じないという特徴を育てていったと考えられる。
母と過ごす時間と言葉を手にした煉獄杏寿郎
煉獄杏寿郎を倒した男として、猗窩座と杏寿郎は切っても切れない因縁を持つことになった。
その煉獄杏寿郎自身も、母を早くに亡くしている。
ただ、煉獄家は柱を排出する炎柱の家系。
もはや名門中の名門である。
土地も財産も職もあり、何不自由なん暮らしができる。
そういった環境で、煉獄家の跡取り息子として生まれたのが杏寿郎である。
その点は、狛治とはあまりにも異なる境遇だ。
猗窩座の言葉を借りれば杏寿郎は
お前は選ばれし強きものなのだ。
<出展>鬼滅の刃8巻・第64「話上弦の力・柱の力」
ということになるだろう。
杏寿郎の母・留火は、気高く強く、凛々しい女性だが病弱だった。
彼女は杏寿郎に教えを残している。
なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか
弱き人を助けるためです。
<出展>鬼滅の刃8巻・第64「話上弦の力・柱の力」
人より秀でた才覚や力を持った強者は、弱き者を助けるためにその力を使わなければならないという母の教えである。
この言葉は、幼く素直の杏寿郎少年の胸に深く刻まれることになる。
彼はこの遺言ともいうべき「母との約束」を果たすべく、鬼殺隊に入り、炎柱となった。
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。
責任を持って果たさなければならない使命なのです。
<出展>鬼滅の刃8巻・第64「話上弦の力・柱の力」
杏寿郎にとって、弱い者を守ることは「天から授かった使命」だった。
そこに疑う余地はないのだろう。
「なんでそんなことすんの?」とは思わない訳だ。
それが「当たり前」であり「常識」。
そういう世界の道理の中で、煉獄杏寿郎は行動している。
猗窩座の人間時代に狛治を突き動かしたエネルギーは「愛」か?
弱き者のために力を尽くそうとした煉獄杏寿郎。
弱い者(病気の父親や恋雪)を守ることに一生涯を捧げた狛治。
どちらもやっていることに大きな代わりはない。
二人とも、持てる才能の限りを尽くして、自分がなすべきことをしたと考えられる。
その結果、狛治は掴みかけた幸せを人間の嫉妬と強欲によって無にされ鬼になり、煉獄杏寿郎は炎柱として志半ばで猗窩座によって命を絶たれるという悲劇を生んでしまった。
巡り続ける輪廻の中で、両者の運命はあまりにも悲劇的に交錯してしまったと言わざるを得ない。
猗窩座=狛治にしても、煉獄杏寿郎にしても、常に「誰かへの愛」を燃やし続けた男たちだった。
狛治は、病気の父親を放り出して、どこかに行ってしまうことだってできたのだ。
そうでもしてくれれば、父親はよっぽど楽だったかもしれない。
しかし、彼は明らかに自分の人生の足かせとなっている父を見捨てることなく、最後まで面倒を見続けた。
それを「何の苦労もない、当たり前のこと。自分がやるべきこと」と考えている点が、非常に興味深い。
どうして、そこまで自分を殺してまで、他人に尽くすことができるのか。
そのエネルギー源はやはり「愛」だろう。
猗窩座=狛治の愛情のベクトルは、すべて「他者」に向いていて、決して自分を愛そうとはしない。
自分という存在はとても小さく「どうなっても良い」と思っているのに、他者の幸せは自分のことのように願う。
果たして、こういった思考が自然と身につくかというといささか疑問だ。
やはり、幼少期の母親の存在というのが大きく関わってくると感じられる。
例えば、狛治自身も、幼少期には母と暮らしていて、父親も健康で、それなりに幸せな生活をしていた。
母は、優しく出来た人と、狛治に対して愛情を注ぎ、育てていた。
しかし、何かの原因で母はいなくなってしまう。
理由は分からない。
二人暮らしになった後、父親は病気になり、狛治はスリに手を染めるようになる。
幼少期の母の教えを忠実に守り抜いた狛治は、他者に対して「献身することができる人間」になった。
そういった筋書きがあれば、狛治の素晴らしい人間性に対する説明にすることができるだろう。
猗窩座の人間時代、煉獄杏寿郎、どちらの心にも母はいた
このように二人の幼少期を比べてみると、彼らの根幹にある「他者のために力を使う」という思想は、非常に似通っていることがわかる。
素質だけでいえれば、狛治にも「鬼殺隊になり得る資格」があったと言えるだろう。
持っている力の使い方が異なってしまっただけで、猗窩座も煉獄杏寿郎も、純粋にその生を全うしようとした、才能ある若者だった。
お互いに、父親に恵まれなかったという不運はある。
病気になり、薬代のために息子を犯罪者にしてしまった上に、責任を逃れて自死した猗窩座=狛治の父親。
妻の死後、気力を失い落ちぶれ、酒に溺れた元柱である杏寿郎の父親。
残念ながら、どちらも息子たちの足かせとなってしまったことは否めない。
似たもの同士でありながら、まったく異なる道を歩んだ猗窩座=狛治と煉獄杏寿郎。
彼らの心のなかには「母の愛」が最後まであったことを願いたい。
