それぞれ鬼には、印象的な名前がつけられているが、上弦の参・猗窩座(あかざ)という名前も現代社会では聞き慣れない言葉だ。
その名前に込められた意味や理由を考察したいと思う。
当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。
無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!
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猗窩座の意味・名前の由来に関するヒントを探す
①そもそも誰が鬼の名前を名付けるのか
鬼の命名に関して直接的なシーンはないが、鬼を作れるのは鬼舞辻無惨だけであることを考えると、「鬼舞辻無惨が名付けている」というのが正解であるように思う。
物語の終盤で鬼となった「獪岳」については、上弦に選ばれてもなお人間時代と同じ名前を使っているので、単に「鬼舞辻無惨が鬼を作ることに飽きた」というのが、その理由であるように感じる。
②猗窩座という名前の文字に込められた意味。
猗窩座という漢字は「座」以外、あまり見慣れない文字である。
いったいどのような意味があるのか
猗(あ)=去勢された犬

いきなりショッキングなワードだが、これは家畜や番犬として扱いやすいように犬を去勢して大人しくさせるという意味合いがあるのだという。
古代中国で用いられた考え方だが、犬はもちろん、羊や牛など家畜全般に用いられた。
猗窩座の人間時代の名前は「狛治」であり、劇中でも登場するように「狛犬」を意味する文字が入っている。
そこから、鬼舞辻無惨によって「去勢させられ、反抗するための牙を抜かれた従順な犬」という意味で、この猗(あ)が用いられているのではないかという推測ができる。
その反面、中国の文献では、「猗(ああ)!」という感嘆詞としての使い方で、美しさや素晴らしさを表現する意味でも利用されており、猗窩座=狛治同様「2面性を持った言葉」として使われている可能性もある。
窩(か)=隠れ忍ぶ暮らし

「窩」という字は、「穴(あなかんむり)」に、「丸く曲がる」という意味を持つ「咼」を組み合わせて作られている。
現代では、目のくぼみを表現する「眼窩」などとして使われることがあるだろう。
言葉の意味としては、あなぐらや洞窟、「眼窩」のようなくぼみ、何かがむらがったり、集まっている様子を表現する言葉だ。
この漢字には、ただの穴蔵や住処というだけではなく「世間の目を忍んで隠れる場所」というマイナスなイメージが付与されている。
かつては、世俗を嫌った隠者や風流人が自分の住処を「〜窩」と名付ける風習があった。
さらに、罪を犯したものが潜伏する場所を指す言葉としても「賊窩(ぞくか)」といった形で使われることがあるという。
猗窩座=狛治は、そもそもスリを働いて所払いにあった罪人であり、鬼になる前に60人以上の人間を撲殺した重罪人だ。
彼がある種「逃げ隠れる者」であることは間違いようがない事実である。
猗窩という二つの言葉を合わせると、「牙を抜かれ鬼となった罪人が隠れ忍んでいる様子」という情景が見て取れる。
猗窩座は、素山家という変えるべき家をなくしてさまよう野良犬ということだろうか。
座(ざ):居場所

座というのは、その人の居場所、あるいは位やランクなどを表現する時に使う言葉である。
「猗窩」という場所にいる者=猗窩座であると考えれば、それは「上弦の参」という無惨に与えられた鬼としての地位でもあり、逆にそこに縛り付けられる運命であるという絶望も現しているように感じる。
神仏がそこにいることを「鎮座」という。
まさに「動かないようにそこに置いておくこと」を意味する言葉だ。
猗窩座は、もうそこから動けない。
鬼であることから逃れられないという運命を表現しているように思える。
狛治が鬼となった際の「もうどうでも良い」という無気力な発言が、そこに現れていると感じる。
猗窩座という3つの言葉を合わせると、「牙を抜かれた狛犬が鬼となり、罪人と隠れ忍んでいるその場所から、動けず逃げられずとどまっている様子」というイメージが換気される。
確かにそれは、鬼となってまで闘い続け、無益な殺生に身を投じてしまった狛治の弱い部分を皮肉っているようにも感じられる。
「去勢された獣」という「猗」のイメージだけ取り出せば、妻である恋雪を永遠に失ってしまい「これ以上の女を絶つ(愛さない・食わない)という決意にも受け取れる。
それを思うと、猗窩座ラストシーンの恋雪との抱擁は、より甘美なものとして胸に響いてくるだろう。
「猗窩座」の名前と人間時代の「狛治」との対比から見えるもの
人間時代の名前「狛治」には、「狛犬のように大切なものを守れる人」という思いが込められている。
狛治(はくじ)の「狛」は 「狛犬」そして、「治」は、「治める=守る」という意味だ。
神社の参道で凛々しく弱きものを守り続ける狛犬=狛治と、悪の道に堕ちた去勢された獣としての猗窩座。
その対比こそが、狛治という人間からの転落を如実に物語っているように思える。
ハクジとアカザの色の違い
「ハクジ」という言葉からは、「白磁」という陶磁器を連想することができる。
まさに透き通るような白さが特徴の磁器だ。
ハクジの白と「アカザ」=赤の対比。
これは純粋無垢な少年狛治から、血に染まった鬼である猗窩座への変貌を暗示しているようにも思える。
これは純粋無垢な少年狛治から、血に染まった鬼である猗窩座への変貌を暗示しているようにも思える。
【参考】京都 栄匠堂「白磁の魅力・歴史」
「アカザ」という名前を持つ植物や魚もいる。
植物の藜(アカザ)は 一年草で、成長すると茎が非常に硬くなり、杖の材料になることで知られている。
新芽自体は赤いのだが、実はこの「アカザ」は、植物学的には「シロザ」という植物の変種ということになっている。
これも「白=狛治」から「赤=猗窩座」への変化として、象徴的な例になりそうだ。
魚類のアカザは、ナマズ目の淡水魚。
背びれに、強い毒性のある毒棘(どくしん)というトゲを持っている。
全身が赤褐色〜オレンジ色なのでこの名がついたのだが、体調は10〜15cmと小ぶりで普段は沼や川のそこで、じっとして暮らしている。
基本的におとなしい性格だが、自分の縄張りに入ってきた敵に関しては敏感に反応する。
この辺りは、猗窩座の血鬼術「羅針」に似通った性質と言えるだろう。
