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猗窩座と黒死牟の関係に見る鬼社会の生き方。無惨ファーストのブラック企業

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猗窩座と黒死牟の関係に見る鬼社会の生き方。無惨ファーストのブラック企業
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鬼舞辻無惨が自らの目的を達するための手駒として作られた鬼という存在。

人を食うモンスターである鬼たちのコミュニティにも、少なからず「社会性」というものが存在する。

無惨が定めた十二鬼月というランキング制度を遵守し、鬼たちはそれぞれの役目を果たしていた。

上弦の壱・黒死牟と上弦の参・猗窩座。

2体の鬼の関係性を紐解きながら、鬼社会の正しい生き方について考察していきたいと思う。

当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。

無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!

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目次

猗窩座と黒死牟は上司と部下の関係

上弦というランキングの上位にいる黒死牟と猗窩座は、いわば同じ会社における上司と部下のような関係だ。

鬼への命令はすべて社長である無惨から発せられるので、上司といえど黒死牟が猗窩座に対して、仕事を指図するということはないだろう。

だが、2人の関係はただの「同僚」ではなく、明確なっ上下関係が存在しているのは確かだ。

そこにあるのは、当然「純粋武力の差」だろうが、2人が鬼となった時代、そして鬼としての経験の深さにも関係があると考えられる。

黒死牟の鬼化は室町時代

黒死牟が生まれたのはおそらく室町時代だと考えられる。

400年前のあの日
赤い月の夜だった

鬼滅の刃第20巻・第174話「赤い月夜に見た悪夢」

これは無限城での死闘の最中に黒死牟が過去を回想して述べた言葉である。

無限城の闘いが行われている大正時代から遡ること400年前は1500年代前半。

日本の歴史区分によれば「室町時代」であるが、より馴染み深いのは「戦国時代」という表現かもしれない。

1519年に武田信玄誕生。
1521年には、織田信長の父・織田信秀が誕生(諸説あり)。

と時代のうねりが大きくなっていたまさしく乱世である。

その頃には、もう産屋敷家によって「鬼殺隊」が組織され、鬼狩りと鬼の死闘が繰り広げられていたのだ。

天下統一という夢を追った武将たちの華やかな闘いの影で、鬼という人間の生活を脅かす悪魔と決死の思いで闘い、人々を守ろうと奮闘した侍たちが確かに存在したのである。

黒死牟は400年前のその日、生涯のライバルであり実の弟である継国緑壱と再会する。

人間のままの縁壱は齢八十を越えているはず

鬼滅の刃第20巻・第174話「赤い月夜に見た悪夢」

と回想しているので、黒死牟の人間時代である厳勝が生まれたのも、80〜90年前と推測できる。

つまり、無限城での闘いから約500年前。
この時代は、室町時代の中期に当たる。

未だ足利氏の力は健在で、室町幕府の政治が機能していた時代だろう。

この時代に、黒死牟と緑壱の兄弟は、双子として侍の家に生まれた。

黒死牟が無惨と出会い、鬼となったのは、緑壱との最終決戦の約60年前。

つまり、鬼となって460年の長い年月を生きていることになる。
これはかなりのベテランだ。

その間、常に「上弦の壱」となるポストを守ってきたとすれば、もはや「最強の鬼」の称号を与えられても不思議ではない。

猗窩座は江戸時代に鬼となった

猗窩座が鬼になったのは江戸時代だと推測される。

猗窩座の人間時代である狛治は、スリを働いて、腕に罪人の証拠である入れ墨を入れられていた。

罪人の腕に入れ墨を入れるようになったのは、江戸時代中期の享保5年(1720年)頃、暴れん坊将軍で有名な松平健ではなく8代将軍・徳川吉宗が執り行った「享保の改革」以後ということになる。

江戸時代初期は、軽犯罪であっても「鼻や耳をそぎ落とす」という残酷な身体刑が実施されていた。
しかし、残酷過ぎる刑罰への忌避感や、更生の機会を与えるという方針転換があり、「入墨刑」と「たたき刑=身体を棒で叩く刑罰)などが導入されたのだ。

ちなみに、「入墨刑」は、明治3年(1870年)に明治政府によって廃止されている。

この通り、猗窩座が鬼になったのは「江戸時代」で間違いないだろう。

つまり、そのときにはもう、「先輩・黒死牟」は無惨の横で参謀としての確固たる地位を築いていたと考えられる。

【関連記事】
猗窩座の過去まとめ|苦難の狛治時代から慶蔵・恋雪との悲劇、煉獄杏寿郎との死闘

猗窩座が黒死牟にしかけた「入れ替わりの血戦」の顛末

上弦の鬼たちの会話から、鬼達の位を上げるには「入れ替わりの血戦」という1対1の決戦に勝利する必要があるということが分かっている。

そして、猗窩座自身が、一度黒死牟に血戦を申し込み、敗れていることも間違いないようだ。

猗窩座の狙った下剋上

猗窩座は、相対した鬼殺隊士には、無遠慮の話しかけ、とにかくおしゃべりをしたがる。

そのくせ、上弦の集まりでは、完全な無口を決め込み、口より先に手が出る始末だ。

この態度こそが、猗窩座の窮屈な身の上を現していると考えられる。

多くの鬼殺隊士は、猗窩座より弱い。
猗窩座に勝つことが難しい実力のものばかりだ。

そもそも「鬼になれと勧誘する」のは、実力が上の者から、下の者でないと成立しない。

鬼舞辻無惨や黒死牟が、気に入った人間に血を与えて鬼にする。
それはまったく問題ない。

同じように考えれば、猗窩座が鬼に誘えるのは、「自分より弱い者」である必要がある。

煉獄杏寿郎にしても冨岡義勇にしても、猗窩座はその強さを認めつつも「自分より下」と見ているから、鬼になれと勧誘するのだ。

それだけ猗窩座には余裕がある。
だからこそ、饒舌になれる。

では、上弦の鬼と接触した時はどうだろう。

黒死牟、童磨は明らかに、猗窩座より強者である。

猗窩座は、弱者に対しての明るく無邪気な態度から一変、押し黙って発言を控える。

「余計なことはいえない」

それが上弦という鬼社会の中における「猗窩座の正当な立場」なのである。

そこには当然、「黒死牟に挑んで負けた」という事実があり、それを覆さない限り、猗窩座の立場が変わることはない。

敗北した猗窩座をなぜ黒死牟は食わなかったのか

「鬼滅の刃 鬼殺隊見聞録・弐」の142ページ「大正こそこそ噂話」の中に、

「お気に入りの猗窩座に入れ替わりの血戦を申し込まれた時には嬉しかったようで、喰わずに生かしておいた。(通常喰って吸収する。無惨の許可制)

という記述がある。

入れ替わりの血戦を申し込んだのは、当然、下位の猗窩座。

そこにどういう理由や心情があったのかは定かでないが、「至高の強さ」を求める猗窩座にとっては、ランキングのトップにいる黒死牟こそ倒すべき相手と考えたのかもしれない。

【関連記事】
猗窩座の血鬼術は武道家として反則なのではないか?破壊殺・羅針を凌駕した無我の境地

黒死牟にとって、猗窩座はどういう存在だったのか。

ある意味、弟のような立場と考えれば、緑壱の姿と猗窩座を重ねているようにも思えるが、黒死牟は緑壱のことを「あまりに気になっちゃう」あまり、嫌っている。

猗窩座と緑壱を重ねていたら、「かわいがる」ようなことはないだろう。

黒死牟は、童磨と喧嘩をしている猗窩座をたしなめるような場面もある。
これは、上位者として、指導するものとしてのふるまいであるように感じる。

無限城での闘いで猗窩座が敗れた際、黒死牟は

敗北するとは猗窩座、私に勝つのではなかったのか
さらなる高みへの開けた道をも自ら放棄するとは軟弱千万!

鬼滅の刃18巻・第157話「舞い戻る魂」

と悔しさを滲ませた。

このコメントは明らかに「期待していた者に対する苦言と悔恨」である。

私に勝つと言っていたのに、どうして負けた?
鬼を超越した力を身に着け、さらに高みへと上がれたのに、それを諦め「自死」した?

黒死牟は、猗窩座が死んだことが「残念だった」のだ。

血戦で敗れた猗窩座を吸収しなかったのは、黒死牟が持っていた猗窩座への「期待」という感情のせいだったと考えるのが妥当だろう。

もちろん、猗窩座という実力者を残しておく方が、「鬼舞辻無惨のメリットになる」という計算はあったに違いない。
無惨の参謀である黒死牟らしい考え方だ。

鬼の社会も人材不足なのだ。
有能な社員を簡単に切り捨てられるほど、楽ではないのだろう。

猗窩座と黒死牟の違いは「鬼として生きることへの積極性」

そもそも猗窩座と黒死牟は、鬼になった動機があまりにも違う。

猗窩座は人生に絶望し、自暴自棄の果に鬼となった

猗窩座は、人間時代に様々な苦難を経験し、愛する妻と義父を毒殺されるという悲劇の中で自暴自棄になり、無惨の鬼化を「望まずに受け入れた」という部分がある。

狛治にとっては、「鬼になってもならなくてもどうでも良い」という状況だった。
「鬼になりたい!」という積極性的な気持ちは皆無だったのだ。

「夕飯、餃子が良い?ハンバーグが良い?」と問われて、「どっちでもいい」という言うようなものだ。
これはお母さんを怒らせる禁句なので、良い子のみんなは必ず、どっちからより食べたい方を選んで伝えるようにしよう。

無惨自身も、猗窩座の記憶を残しておくと不具合があると思ったからこそ、彼の記憶の一切を消去したはずだ。

黒死牟は「縁壱になるため」望んで鬼になった

逆に、黒死牟にとって、人間時代の苦い記憶は、「鬼として生きる上での大きなモチベーション」になったはずだ。

彼は、どうしても越えられない壁である弟・緑壱に一矢報いるため、無惨の提案を受け入れて鬼になった。

私はただ
緑壱
お前になりたかったのだ

鬼滅の刃20巻・第176話「侍」

鬼殺隊との闘いで首を斬られ、消え去ろうとしている最中に、黒死牟は本音を漏らした。

黒死牟は人間時代、自分では手の届かない高みにいる緑壱に嫉妬した。

自分にはないものをすべて持ってるにも関わらず、飄々と生きる弟の姿は、黒死牟にとって鬼以上の怪物に見えただろう。

その最強の弟の勝つための最後の手段として、黒死牟は鬼になることを「積極的」に願った。

しかし、縁壱は無惨の死の寸前まで追い詰め、痣者の呪いをはねのけ、弱い80歳を過ぎても剣を握り、上弦の壱として最強の鬼の名を欲しいままにしていた黒死牟の前に現れた。

結局、縁壱の寿命により、勝負を決することはできなかったが、黒死牟の中には「完全敗北」という想いしか残らず、縁壱の死に寄ってもはや永遠に逆襲の機会を失った黒死牟は、「勝ち逃げ」という表現を使い、縁壱を呪った。

鬼になる動機は異なったものの、猗窩座と黒死牟の2人は「無限の時の中で、己の技を極めたい」という欲求が同じだった。

その点に黒死牟が好感を持ったという可能性は、高いように思える。

猗窩座と黒死牟の生きた鬼社会は「無惨ファースト」

猗窩座と黒死牟の生きた世界は、あくまでも「鬼舞辻無惨ファースト」の社会だ。

無惨の采配一つで、十二鬼月だろうと簡単に滅される。

その中で、黒死牟は無惨の参謀として、400年に渡り、暗躍を続けてきた。

長い年月の中で、入れ替わりの血戦を黒死牟に申し込んだのは、猗窩座を含めて3名のみとされている。

他の2人は喰い、猗窩座は喰わずに生きながらえさせた。

もちろん、無惨の意思というのはあっただろう。

「猗窩座は使える、殺すな」と言われれば、黒死牟は素直に従ったはずだ。

黒死牟が炭治郎に負けた猗窩座を評して「軟弱千万」と断じた。

この言葉の意味は、「この上なく意気地なしで、意思が弱く、しっかりしていないこと」だ。

期待していた弟子に裏切られたという師の思い。

黒死牟が抱いていたのは、鬼としての異形の姿とは異なる、実はやさしい人間の心だったのかもしれない。

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この記事を書いた人

「猗窩座|狛治」というキャラクターに魅了され、猗窩座.comを立ち上げ。漫画大好きで蔵書は数千冊。社会倫理思想の観点から独自の漫画分析を試みる地方在住のお気楽フリーライター。

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