「さあ始めようか。宴の時間だ」
<出展>吾峠呼世晴/鬼滅の刃17巻・第147話「小さな歯車」
煉獄杏寿郎の死という因縁で結ばれた猗窩座と炭治郎は、無限城にて再び相まみえることになる。
かつて「弱者」と切り捨てた炭治郎が、自分と対等に戦えるたけの剣技を身に着けたことに驚き、喜び、発したセリフがこれである。
当記事は、作品の感想を主体とした独自の考察を元に構成されていますが、一部ストーリーの展開が読み取れる「ネタバレ」部分も存在します。
作品未読の方は、十分ご注意ください。
無限城編での猗窩座との死闘をもう一度、その目に焼き付けよう!
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猗窩座の言う「宴の時間」とは何か?
猗窩座は嬉しそうに「宴の時間」と言っているが、そもそもそれは何なのか?
彼にとっても最も喜ばしいこと、楽しいことは「強者と戦うこと」だ。
もっと細かく言うと「自分が強いと思う者と戦って自分が勝つこと」なのだが、猗窩座自信は自分が負けるなどと露とも思ったことはないだろう。
そもそも「宴」という言葉の意味は、「たくさんの人間が一箇所に集まり、酒を飲む、食事をする、歌う、踊るなどそれぞれ好きなことをして楽しむ会合」のことである。
現代語に置き換えれば、「宴会」や「パーティー」といったところだろう。
「宴」というのは、少し華やかで古風な言い回しであると考えられる。
だが、これはあくまでも「現代的な宴の使い方」であり、古来より使われてきた意味合いとは少し異なる。
古来の宴とは、「神様を巻き込んで、歌い、踊り、お酒を飲む行為であり、神事の一つとして、民の意識を団結させる、盛り上げるためにおこなわれた」行事だった。
神事としての「宴」は、神様と一緒に食事をすること。
古代においては、酒や食べ物は「神様に捧げる供物」だった。
つまり猗窩座にとっての宴は、「強者と楽しく戦う会合」でもあり、絶対神=猗窩座に対して、美味しい供物=猗窩座と戦う強者を捧げる儀式という側面があった可能性も考えられる。
狛治は「宴」などというものを経験したことがない。
ここで重要なのは、人間時代の狛治は「宴」などというものを経験したことはないと思われるという事実だ。
狛治は、父親の病のせいで劣悪な少年時代を送り、素山慶蔵に引き取られた後も、裕福ではない暮らしの中で、武道と恋雪の看病に明け暮れる日々を送った。
そんな状態で「飲めや歌えの宴」に参加することなど、絶対に考えられない。
人間狛治は「宴」を知らなかったのだ。
では、なぜ猗窩座は楽しそうに「宴」などという言葉を使ったのか?
鬼舞辻無惨に思考を埋め込まれている可能性
猗窩座を鬼にしたのは鬼舞辻無惨である。
狛治時代の負の記憶をなくしたいというのは、猗窩座自身の希望でもあっただろう。
だが、すべての記憶を抹消されて鬼になったとしても、術式や技名に恋雪との思い出が反映されていたり、猗窩座武術の基本が素流であったりと、人間時代の面影が随所に残されている。
そんな中で、「宴の時間」という言葉をあえて使うようになった理由は、鬼舞辻無惨の影響であると考えるのが、一番説得力がある。
猗窩座が、百年に一度開かれる「上弦の月の宴会」でハメを外して、飲んだくれている様子など想像できない。
猗窩座は、鬼になっても宴を経験したことはないだろう。
だとすれば、そこに影響を及ぼしているのは、鬼化する際に身体に流し込まれた「鬼舞辻無惨の血に由来するもの」というのが自然な考え方だ。
鬼舞辻無惨は元々平安貴族であり、数百年の時を渡り歩いてきた歴史の証人である。
宴の一つや二つ、楽しむことはあっただろう。
飲めや歌えの大騒ぎではなく、命をかけて戦うことが「宴」というのは、なんとも不器用な猗窩座らしい。
すべてを失い、記憶までも失って鬼になった猗窩座にとって、「戦うこと・強くなること」は、唯一の生きる理由。
彼にとって最も優先すべき楽しいことは、やはり「宴」だったのだろう。
猗窩座の「宴の時間だ」に匹敵するインパクト大な染みる名言
『SLAM DUNK』安西光義「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
【発言者】安西光義(安西先生)
【作品タイトル】SLAM DUNK
あのずんぐりむっくり体型から発せられたとは思えない、珠玉の名言。
どんなに絶望的な状況でも、自分が可能性を捨てない限り、勝利への道は開かれているという強気教え。
中学時代の三井寿、桜木花道を奮い立たせたこの言葉は、スラムダンクを逆境に立ち向かう者のバイブルに昇華させた。
物事の本質を突きまくった、優しくも重みのあるメッセージだ。
『ONE PIECE』Dr.ヒルルク「人はいつ死ぬと思う…? …人に忘れられた時さ!!!」
【発言者】Dr.ヒルルク
【作品タイトル】ONE PIECE
命が尽き、肉体が滅んでも、人の想いや意識が誰かの心の中にあり続ける限り、死んだことにはならないという独自の死生観を表した言葉。
不治の病に侵された医者・ヒルルクが、危機に瀕した国を救うために命をかける。
その意思を受け継いだチョッパーが体現する不屈の精神が、読者の心に深く刺さった。
『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎「心を燃やせ」
【発言者】煉獄杏寿郎
【作品タイトル】鬼滅の刃
満身創痍の中で強敵・猗窩座と対峙し、炭治郎たちの命を守りながら、懸命にたたかった煉獄杏寿郎。
結果敗北し、命の灯火が消えかけようとした死の間際、炭治郎たちに鬼殺隊の未来を託したこの魂のメッセージは、彼らを奮い立たせ、最終的に鬼舞辻無惨討伐という目的を叶える礎となった。
誰からも慕われた熱い男・炎柱ならではの辞世の言葉だった。
『キングダム』王騎「これが将軍の見る景色です」
【発言者】王騎
【作品タイトル】キングダム
数多くのの死線を越え、数多の兵の命を預かる最高責任者「将軍」にしか見ることのできない、戦場の風景とのしかかる重責を表現した言葉である。
王騎が命を落とす間際、次世代を担う若者である信を自身の馬に乗せ、「将軍の見る景色」を体感させた。
強さのみに奢ることなく、背負うものの大きさや上に立つものの視座こそが真の強さを生む。
偉大な先輩から渡された大きな宿題とも言える名言だ。
